中込直樹さんが洋食店を開くまで。

中込直樹さんは大阪で小さな洋食を経営しています。1970年5月14日に和歌山県で生まれました。中込直樹さんは父、母、妹の4人家族です。子供のころは大食で大きな体をしているのに、引っ込み思案でかなりの泣き虫でした。弱気な中込直樹さんを心配した父親が近所の少年野球に入れさせ、そこから少しずつ友達もできて明るい性格になっていきました。

小学校、中学校と仲間たちと少年野球を続けていました。
子供の頃からジャイアンツのファンでTVで流れている選手たちをよく真似していました。
ポジションはピッチャーをやっており、なかなかいい球をなげていたのですが、
コントロールが悪くファーボールか三振かを繰り返していました。

バッティングのほうはあまり得意ではなく、打順は8~9番を打っていることがおおかったようです。
中学に入るともっといい球を投げるピッチャーがいたために、
外野手に転向して、バッティング練習を頑張りました。
このころから努力することは楽しいことだと感じていたようで、
毎日素振りを100回、ダッシュを繰り返して2年の夏にはレギュラーになりました。

最後の大会では3番として出場することになり、
気合が入りすぎたのか4三振をしてしまいました。
あまりいい形で終わることはできませんでしたが、
努力することの素晴らしさを知るにはとても大事な期間だった思われます。

しかし高校生になると別の事をはじめてみたくなり、辞めてしまいました。そこでお金を稼ごうとアルバイトに精を出しました。アルバイトは近所の大手ファミリーレストランの厨房です。そこで料理を作る楽しさ、お客さんに残さず食べてもらえる嬉しさを知りました。高校卒業後の進路には大変悩みました。料理の楽しさを知り調理師専門学校に進もうかと思ったのです。しかし親からの反対もあり、大阪の大学に進学し経営学を学ぶことにしました。その選択はのちに正解だったと思います。
大学時代にはホテルの大きなレストランの厨房でアルバイトをしました。そこのシェフたちの腕に感動し、ますます料理にかける情熱は熱くなっていきました。それと同時に大阪や地元和歌山のレストランを休みの日にまわり始めました。美味しい料理やお店の内装など気になったお店は記帳し記録につけていきました。大学卒業後、自分のお店を持ちたいと思うようになったのです。高校、大学と飲食店のアルバイトを経験し自分に合っていたのです。

中込直樹さんは大学を卒業してそのまま大阪の洋食店に就職しました。そこで料理の勉強をし、お金も貯めていきました。洋食店でアルバイトをしていた女性とも出会い結婚しました。のちに奥さんになるその女性も中込直樹さんの夢を応援してくれました。デートはやはり飲食店で食べ歩きが多かったです。彼女から女性目線の意見をもらってまた料理の記録に残しました。そして10年勤めた洋食店を退社し、貯めたお金で奥さんと共に現在は大阪で自分の洋食店を経営してます。学生時代に残した様々なお店の料理の記録は今も参考にして役にたっています。地元和歌山の魚介類を使った料理がお店の売りで、遠くからも食べに来てくれるお客さんもいます。
奥さんと数人のアルバイトと明るくアットホームなお店づくりを心掛けています。もう少し大きくなると息子さんもお店を手伝ってくれるそうなのでそれを楽しみに待っています。

中込直樹さんの今後の夢は息子さんが大きくなって、
家族で経営するあたたかい雰囲気の洋食店を続けることだそうです。

このお店にくお客さんの顔を見ていると、
それはすぐに実現できる夢だなと感じさせます。

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